昨日、電車の中でスマホをいじっていたら、偶然、青森でピアノの先生をなさっている方のブログが出てきました。

そのブログを読んで「自分、何やってるんだろう・・・」と反省させられました。

普通のブログで、教室のことや生徒さんのことがつづられているブログで、私が一番思ったのは「好きなことをやらせてくれている両親に感謝しています」という文章です。

私、「ピアノをやりたかったのにできなかった母にやらされ、最初嫌だったけど仕事にしてみたら天職で自分に合っていた」と人に説明するのが定番の言葉なのですが、「今はお母さんに感謝していらっしゃるのですね」とよく言われるのですが、「感謝とかはあまりしてない」と答えています。

15日の土曜日、タイ古式マッサージに行って、マッサージを受けながらだらだらしゃべってきたのですが、母の話になり、とにかく異常な母だったという話になりました。

2005年の4月、「ピアノ教室やることにするから」と母に言ったら、「ああよかった、秋田大学にピアノ教室の広告出してた」と言うのです。私に内緒でピアノ教室の広告を出していたのです。それでも問い合わせ来ないから、そんなにそんなに人って来ないんだなぁ、と思っていたら、「月謝1000円」と広告を出していたのです。

2005年5月に初めての生徒が来た時、「月謝1000円」「楽譜はただでサービスしろ」と言われ、困って私のピアノの先生に言ったら、「楽譜サービスなんてありえない、ちゃんと楽譜代もらえ」「あなた4年制の大学卒業してるから1時間2000円で月謝8000円にするのが妥当だ」と言われ、生徒さんのお母さんからも「月謝1000円って変だと思ってた、お母さんじゃなくあなたと直接話したい」と電話で言われ、教室に来て話がまとまり、帰っていったのですが、母が私に負けてしょんぼり背中を丸めていました。

何でそんなに1000円にこだわったのか未だにわかりません。とにかく私にお金を稼がせたくなかったらしく、大学時代はアルバイトを禁止されていました。普通の学生よりお小遣いが多かったのですが、お小遣いが多いけど自分から逃げれない程度に調整してお小遣いを渡されていました。そしてピアノ教室の広告は私に内緒で勝手に出し、月謝は1000円。死後、遺言には、私の貯金通帳を母の弟が持つように、と書かれていました。その他にも毎月49000円で暮らせと書かれていました。一体私をどうしたかったんだろう、と不思議になる母親で、とにかく私にお金を稼がせたくなかったらしく、ピアノ教室の仕事で自立させる気が全くなかったらしいです。母が亡くなった時は生徒が1人しかいなかったのですが、15年続けていたら生徒さんが増えました。今日も1人、高校1年生の女の子が来てくれます。

昨日、他の教室の先生のブログを見て反省していたのですが、今、文章書いていたら、「感謝できないような母だったのかもしれないな」と思いました。

ピアノの先生は100人いたら100通りのストーリーがあると思います。私のストーリーは、母に嫌々ピアノをやらされたけどやってみたら天職だった、ピアノや音楽が好きで仕事にしてるんんじゃなく、私がどんなにピアノが嫌でもピアノが私を愛してくれた、私が仕事を選んだんじゃなく仕事が私を選んでくれた、音楽がどんなに私が嫌っても私を愛してくれたから死ぬその日までピアノ教室をやっていく、というのが私のストーリーです。他のピアノの先生とも、自分の先生とも、どうしてピアノの仕事をしているかという話になったことがありません。好きで仕事にしてるように見られがちですが、好きで仕事にしてるように見えて、そうではなく、ピアノが私を選んで愛してくれたから仕事にしています。

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ブログ 2020/08/18