ピアノ教室を始めて15年になります。

大学時代、モデルをやっていたのですが、嫌でも人と関わらないといけない仕事で、人と関わるテクニックを身に着けました。

資生堂で、美容師免許を持っている人がさらに勉強しに来る美容学校があるのですが、そこのヘアメイクの練習台のモデルの仕事を1番多くやりました。

それで、メイクアップの道具について質問する、という会話のテクニックを身に着け、「これは何ですか」と質問することで会話を繋いでいく、というテクニックを身に着けました。

モデルの仕事を3年し、そしたら人との関わりに目覚め、「接客業に就きたい」と思いました。

大学を卒業し、母に虐待気味にピアノをやらされてきたので体調不良で(私の大学の教授やベートーヴェンも親から虐待気味にピアノをやらされていました)会社勤めとかバイトとかできなくて、嫌々ピアノ教室を開きました。今では笑い話なのですが生徒1人に1時間教えると、3日寝込んでいました。今からでは考えられません。

私がピアノ教室を開いたことで、母が嬉しく得意っけにしていて、周りからはお嬢様ピアノ教師でいい風に見られていたのですが、私本人は母に負けた負け犬だと自分を思っていました。

深い絶望の中で、月4回来てくれていた小学生1人にピアノを教えていました。生徒は1人しか集まりませんでした。

2006年の7月14日に母が亡くなり、地元で一気に話が広まり、悲劇のピアノ教師扱いで、「あの先生、お母さんが死んでどうするんだろう、会社員になるのかな、バイトでもするのかな」と、すごく面白がられていました。

2008年にこのホームページを作ったら人が来始め、今でも教室の看板を見て来る人はいなく、みんなホームページを見て来てくれています。

人が来るようになって、悲劇のピアノ教師扱いからいい風に見える先生に変わり(土崎の住民、話広まるのと態度の変え方すごい)周りからはいい風に見られていたのですが、生徒が1人しかいなかった時の幸福を味わうことができず、さみしい気持ちを抱えながら、ピアノ教室に来る生徒さんに接客していました。

生徒が1人だった3年間、一緒にデパートに行ったり、よくできた時楽譜にはるシールを一緒に買いに行ったり、すき家を外から見て「おいしそうだね、今度2人で食べに行こうね」と言ったりして、幸せでした。生徒が1人しかいなかったけど、気持ちの繋がりががっつりできていて、本当に幸せでした。

ピアノ教室の仕事を続け、人が増えてきたら、みんなからいい風に見られ、誰も私が母から嫌々ピアノをやらされてちっともいい風じゃないことをわかってくれる人がいなく、仕事が増えるのと比例する感じで、心のさみしさや表面づきあいが増えていきました。

2017年、私の健康状態が突然悪化し、教室運営のピンチが訪れました。その時一番助けてくれたのがSさんでした。

人との気持ちの繋がりがまた感じられ、心が慰められました。Sさんが来ると1時間半ピアノを弾かないでしゃべったりし、ピアノ教師としては最低なのですが、気持ちが満たされていました。

最近や今日、Sさんに真面目にピアノを教え、ふっとさみしい気持ちがよぎっていました。私、ピアノを教えたいんじゃなく、人との気持ちの繋がりが欲しかったんだ、と気づきました。

自分が貧乏や不幸じゃないと人と心の関わりを持つことができなかったのでしょうか。今までの私はそうだったんだとわかりました。

慣れってあって、ピアノ教室15年やっていたら、いい風なお嬢様先生に見られることに慣れました。慣れるまで15年かかりました。

私、誰かにわかってほしかったんだ、と思いました。でも、ここ1年くらいで思ってきたことなのですが、みんな「ピアノ楽しい」と通ってくれているのに、横でいるピアノ教師私が嫌々仕事してるって、うちに来てくれている生徒さんを傷つけるような考えなのではないかと思いました。

そんな感じで、仕事が嫌ではなくなっていきました。これから、私が死ぬまで、どんな生徒さんが来るのかわからないのですが、天や運命が私にもたらしてくれる生徒さんと関わり、表面づきあいがあったとしても、生徒さんとと関わっていこうと思っています。

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ブログ 2020/05/17