その高校時代、うちの母、私を声楽教室に通わせるとかピアノに通わせるとかがすごかったです。

同級生に「桜庭さんのお母さん、桜庭さんをデビューさせたいんじゃない」と言われました。

私をどうしたかったのか、よくわからない母で、ピアノ教師になってからもヤマハの先生の所に通わされました。

言ったら悪いのですが、そんなにレベルが高い先生ではなく(私本人、ピアノ教師14年やってるけどレベル高い先生じゃなく町のピアノ教師だし)「自分が先生になってからでも先生の所に習いに行くって大事」と、毎週土曜日の午後2時頃、ガッと、ダダダダッと階段を上がってきて私の部屋にワッと入ってきて、右の二の腕をガッとつかまれて、引っ張られ、車に乗せられて、ヤマハまで連れて行かれました。

乳がん患者が娘にそんなことをしているなんて誰も思いもよらなかったと思います。

2006年の4月から母が寝たきりになり、ほっとしました。生まれて初めてピアノから離れました。来ていた生徒1人のみに教える生活が続き、母は寝たきりで、私を引っ張れなくなりました。

そしたら電話帳を開いて携帯電話で色々な教室に電話をかけ、出張で教えに来てくれないか、と。

どこの教室からも「何でピアノの先生やってる人に私が教えなきゃいけないの」と断られていました。

2006年7月14日に母が亡くなり、ほっとしました。正直な話。

私をどうしたかったのか、未だによくわからないのですが、確かなことは、音楽・ピアノが愛してくれたのは私で、母の音楽への愛は母の片思いにすぎなかったということです。

「私の音楽への愛は私の片思いにすぎない」と自伝に書いている映画監督が天職のベルイマンの片思いの方がまだましです。

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ブログ 2019/04/29